流行語の比較・団塊ジュニア
流行語の比較
【1971年】
日本初の本格的なファーストフード店が東京・銀座にオープンした。
世界のハンバーガーチェーンのマクドナルドである。
▲「アンノン族」
女性誌のアンアン、ノンノンを読む若い女性たち
▲「脱サラ」
脱サラリーマンの略で、会社をやめ、独力で事業を興すこと。
▲「ディスカバー・ジャパン−美しい日本の私」
(国鉄=現・JRのキャッチコピー)
副題の「美しい日本の私」は、川端康成の作。
キャンペーンは7年間続いた。
▲「ニアミス」
衝突や接触するおそれがあるくらい飛行機同士が異常接近すること。
雫石上空事故の後流行し、日常生活でも使われるようになった。
▲「ピース、ピース」(井上順)
テレビの司会でVサインを作りながら言ったの流行し、
写真を撮られる時に使われるようになった。
▲「ヘンシーン」
(石森章太郎のマンガ「仮面ライダー」のテレビ映画から)
▲「ホットパンツ」
この春夏コレクションで話題になったショートパンツ。
ミニスカート愛好者に広く支持され、ブームとなった。
▲「古い奴だと思いでしょうか」
特攻隊の生き残り、鶴田浩二の 歌『傷だらけの人生』でのセリフ
【1972年】
2月28日の「浅間山荘」をめぐる攻防戦。
連合赤軍の凄惨なリンチ事件は、
世間に大きな衝撃を与えた。
▲「お客様は神様です」
三波春夫が舞台で言い、レッツゴー三匹がこれをまねて流行った。
▲「三角大福戦争」
ポスト佐藤をめぐってしのぎをけずる、三=三木武夫、角=田中角栄、
大=大平正芳夫、福=福田赳夫の争い。
▲「小異を残して大同につく」(周恩来)
▲「総括」(連合赤軍)
連合赤軍が同志を次々にリンチ殺人した名目にした。
60年代から学生運動で使われていたことば。
▲「バイコロジー」
バイシクル(自転車)とエコロジー(生態学)の合成語。
大気汚染防止、環境保護のために自動車をやめて、
自転車に乗ろうという運動。
▲「恥ずかしながら」(横井庄一)
グアムから28年ぶりに帰国しての第一声が
「恥ずかしながら、横井、生きながらえて帰ってきました」であった。
▲「未婚の母」
従来の婚姻制度への反発や、女性の自由意思による出産など、
ウーマン・リブの発想から、未婚で子供を産み育てる女性のこと。
▲「のんびりゆこうよ」
今は亡き鈴木ヒロミツさんの
ガス欠になったクラシックカーを手で押すCMが印象的だった。
▲「若さだよ、ヤマちゃん」
サントリーの純生のCMで佐藤允さんが出演していました。
【1973年】
「ハイセイコーは、国民的アイドルとなった。
ダービー、菊花賞と勝負には敗れても、なおかつ人気は加熱する一方。
引退時にはレコードまで作られたのである。
▲「うちのカミさんがね」
NHKで放映された「刑事コロンボ」で、コロンボ刑事の口癖。
▲「キーセン観光」
韓国への買春ツアー。
▲「省エネ」
省エネルギーの略。企業への石油電力供給が制限され、
街のネオンは消え、テレビの放送時間も短縮された。
▲「せまい日本、そんなにいそいでどこへ行く」
交通安全標語。
1972年11月に全日本交通協会の主催で最優秀作品三点が
選ばれたうちのひとつ。
高度経済成長期の日本社会を告発する意味をも内包する
言葉として共感を呼んだ。
▲「タバコする」
パイプのCMから。
▲「ちょっとだけよ」「あんたも好きネ」(加藤茶)
人気テレビ番組「8時だよ!全員集合」のなかで、
ストリップショーの真似をしていった。
▲「これにて一件落着」
テレビ時代劇「遠山の金さん捕物帳」のせりふから
【1974年】
この年八月初演の「ベルサイユのばら」は、
「マンガが原作なんて」と言われながらも、
宝塚歌劇団始まって以来の大ヒットとなる。
さらに少女漫画誌の創刊ラッシュが始まり、
二〇歳そこそこの少女マンガ家たちは一大ブームを巻き起こした。
▲「ストリーキング」
全裸で街中を疾走すること。
この年アメリカで突如起こり、全世界的に流行の兆しを見せ始めた。
▲「晴天の霹靂」(三木武夫)
椎名裁定で自民党総裁に指名されて、
「晴天の霹靂、予想だにしませんでした。非常に光栄に存じます」と感想を述べた。
▲「千載一遇のチャンス」(ゼネラル石油)
オイルショックに際し、
「石油危機は石油製品の大幅値上げをはかり、
利益を得ることができる千載一遇のチャンス」
だと社内に文書で通達した。
▲「オヨヨ」
桂三枝のギャグ
▲「スプーン曲げ」
ユリ・ゲラー初来日以来、日本でもすっかりポピュラーになってしまった
▲「わが巨人軍は永久に不滅です」
(長島茂雄、引退試合後のあいさつ)
その他
セブンイレブン1号店「ベルばら」「諸悪の根源」

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